映えない生活の記録

映えません

映画「"聖なる鹿殺し」から深読みする加害者サイドへの罰〜ネタバレしかない〜

最近Twitterで話題になっていたので、気になっていたことを思い出して観てみた。

あらすじは色々なブログとかで書いてあるからとりあえず省略する。

感想としては、まったくおすすめしない映画だ。でも、ファニーゲームを観るよりはよっぽどいい。あれよりはよほど納得できる。でしょ?

カメラワークについて描いてたブログ?はなかなか興味深かったから、そういう意味で観るのは良いかも知れない。

イピゲネイアの話はみんな書いているからこれも省く。傲慢な人間が痛い目に遭う。っていうのはよくある教訓めいた話だ。また神々の容赦なさを描いたり、等価交換を求めるのもよくある話である。この映画はそれをうまく取りこんで、我々の心にハンマーを叩きこんでいるといえる。

 

 

深読みの結論から書くと、この映画がキショいのは倫理に欠けるからだ。

マーティンからしたら医療ミスを謝罪もせずに罪滅ぼししようとしてくるサイテー医師。過去にあった上級市民みたいな批判を思い出すね。

罰も受けずに身内をコロコロした人がのうのうと暮らしているのは許せない。これはたぶん正しい感覚だ。

さて、マーティンの力の正体なんてどうでもいい。巻き込まれた家族が可哀想だった。幼い子まで犠牲になった。これもきっと多くの人には正しい感覚だ。

ただ、そうじゃない人もいる。

この家族を巻き込み犠牲にしようとする制裁は犯罪者を出した家族が酷い目に遭うって話に似てるなと私は思った。罪を犯したのは別の家族で他の家族は関係ないのに、死ぬほど家族全員を、正義の名の下に追い詰める人達。

それって倫理感に欠けてるよね。それをこの映画を観て"あれとは違う、これが正義だ"って言えるかな?って問題提起した映画だったのかと、雑に深読みしたわけだ。

倫理的=正義

が成り立たないと人は気分を害すようにできてると思う。言ってることは倫理的には理解できるが、倫理が理解を拒むってやつ。

だからこの映画は、たぶんわざと登場人物を気持ち悪く描いてわざと加害者も被害者家族もなんとなく擁護できない気持ちにさせているんだろうなって思った。

下手したら自分の為を思ってないのはマーティンしかいない説すらある。まったくそれが美談に見えないのに。うん。気持ち悪い。

本当に人を不愉快にさせる演出がうまい。スパゲティの食べ方も会話もかなりサイテーだ。

でも気に入らないからって、こいつが犠牲になれば。じゃ結局他の登場人物の考えと変わらないんだろう。あの父親でさえも、本来なら死んで詫びるのではなく、出頭して罪を償うのが一番我々の社会として正しいはずだ。倫理が正義に殺されて倫理が拒むから、きっとモヤモヤしてこの映画はキショいんだろう。