映えない生活の記録

映えません

今期の冬季うつ始まりました

私はかれこれ10年ぐらい、冬季うつという病気を患っている。診断される前を思い返せばたぶん12年ぐらいこれと付き合っている。

初めて診断された時は、あれこれ薬を飲んだりしていたが、薬なしで頑張ろうとかいう謎の目標を立てて7年ぐらいやってみた。

が、盛大に人間関係をぶち壊した為、今年ぐらいからはちゃんと治療しよう。と考えている。

 

以上前提

 

今期の症状は背中の違和感から。これはいつもといえばいつも。

夜には唐突な吐き気に繋がり、帰りたいのに気持ち悪くて帰れない。ということに。

吐き気が治まってからは、謎の震え。もちろん風邪でもなんでもない。

例えるなら、飛行機を操縦していたら、突然乱気流に飲まれて、機体がぐわんぐわんしている感じだ。操縦で平行に飛行をさせているものの、集中を切らしたら飲まれるので、平行に飛行機させることに必死になる。

そこから手足の存在がおかしくなる。邪魔されつつ意思通りに動くが、違和感が強い。ちょい泣きたい。

歩く感覚もおかしくなり、全然進んでいる気がしない。

それでも、まだ精神は病んでいない。頭は大丈夫だと思うので、他人に被害はない。

もちろん、病気があるなんて言って入社していないので、ある程度は外で平気なふりをする必要もある。今回もうまくやり過ごせたとは思う。

帰りに妙にチョコが欲しくなり、チョコとココアを食べたら多少良くなった。なんとか帰宅して、さっさと布団で寝た。

病院探さないとな。と思った。

 

映画「LAMB」ネタバレしかない

変な映画ばっかり観ている。ずっと前から気になっていた変な映画がLAMBだ。頭が羊の子供がでてくるなんてもう気になるに決まっている。

日本版のポスターはおそらくヒグチユウコ氏のイラスト。すごくハマっているし、語感だけでは不気味な頭が羊の子(アダ)の可愛いらしさが120%発揮されている。

ちなみにあらすじ解説はしない。きっと他のブログさんが書いてくれるからだ。

 

閑話休題、感想の話。

 

私はこの映画には向いてなかった。

なんと言うか、登場人物の気持ちに共感できないのだ。

この夫婦長く子供ができなかったのかな?ぐらいにしか思ってなかったが、3章でいきなりアダのお墓が出てきて

 

え?羊っ子(アダ)死んだの!?

やっぱり獣人だったから短命なのか。。

 

と思ったら、かつての夫婦に死んでしまった子がいたことが明かされ、今までその過去を忘れて生きようと努力してきたことがわかるのだ。

3章で…

いや、なんでなんの葛藤もなく夫婦共々羊っ子を受け入れてたか不思議過ぎてたから、その解答にはなったけど、やっぱり「羊の子を受け入れる決意」みたいな場面がずっとないので違和感バリバリでそこに共感できないのだ。

なんなら奥さんに撃たれた本当の羊ママンの方がまだ感情移入できる気がする。。

旦那さんの弟も銃で羊っ子を撃とうとしてやめたのかわからなかったし…

そういう御伽噺といえば、そうなのだが、イマイチ納得できない。という場面が多い映画だった。

無駄な夫婦の濡れ場とか、あれで弟か妹ができて葛藤する…とかでもないし、夫婦の時間が動き出したな場面なんだろうが、匂わせ程度でよかったなぁと。その分羊っ子の場面が欲しかった。

 

ラストもいきなり本当の羊パパがでてきて偽パパが撃たれて…この辺の絶望感も、物好きな人向けの映画としては物足りない感があった。

羊っ子に本当のパパが、そのママは本当のママを殺したんだ。ぐらい伝えて、偽ママが本当のパパに撃たれないために羊っ子が本当のパパについていき、偽ママ号泣ぐらいの展開の方がいっそよかった。

本当の羊パパはインパクトあったけどね。

なんと言うか、これ面白いよね!ってアイディアだけだして、風呂敷が畳めない感があった。

御伽噺としてはそれでいいんだろうけど、なんだかな。

 

最後にこの映画の良いところ。

羊っ子が可愛い。もっと羊っ子と家族のふれあい場面が欲しかった。

猫が出てきたけど、猫が酷い目に合わなかった。猫好きさんにも安心。

ただし、犬はすっごく可愛くて酷い目に遭う。犬好きさんには向かない映画だろう。

 

映画「"聖なる鹿殺し」から深読みする加害者サイドへの罰〜ネタバレしかない〜

最近Twitterで話題になっていたので、気になっていたことを思い出して観てみた。

あらすじは色々なブログとかで書いてあるからとりあえず省略する。

感想としては、まったくおすすめしない映画だ。でも、ファニーゲームを観るよりはよっぽどいい。あれよりはよほど納得できる。でしょ?

カメラワークについて描いてたブログ?はなかなか興味深かったから、そういう意味で観るのは良いかも知れない。

イピゲネイアの話はみんな書いているからこれも省く。傲慢な人間が痛い目に遭う。っていうのはよくある教訓めいた話だ。また神々の容赦なさを描いたり、等価交換を求めるのもよくある話である。この映画はそれをうまく取りこんで、我々の心にハンマーを叩きこんでいるといえる。

 

 

深読みの結論から書くと、この映画がキショいのは倫理に欠けるからだ。

マーティンからしたら医療ミスを謝罪もせずに罪滅ぼししようとしてくるサイテー医師。過去にあった上級市民みたいな批判を思い出すね。

罰も受けずに身内をコロコロした人がのうのうと暮らしているのは許せない。これはたぶん正しい感覚だ。

さて、マーティンの力の正体なんてどうでもいい。巻き込まれた家族が可哀想だった。幼い子まで犠牲になった。これもきっと多くの人には正しい感覚だ。

ただ、そうじゃない人もいる。

この家族を巻き込み犠牲にしようとする制裁は犯罪者を出した家族が酷い目に遭うって話に似てるなと私は思った。罪を犯したのは別の家族で他の家族は関係ないのに、死ぬほど家族全員を、正義の名の下に追い詰める人達。

それって倫理感に欠けてるよね。それをこの映画を観て"あれとは違う、これが正義だ"って言えるかな?って問題提起した映画だったのかと、雑に深読みしたわけだ。

倫理的=正義

が成り立たないと人は気分を害すようにできてると思う。言ってることは倫理的には理解できるが、倫理が理解を拒むってやつ。

だからこの映画は、たぶんわざと登場人物を気持ち悪く描いてわざと加害者も被害者家族もなんとなく擁護できない気持ちにさせているんだろうなって思った。

下手したら自分の為を思ってないのはマーティンしかいない説すらある。まったくそれが美談に見えないのに。うん。気持ち悪い。

本当に人を不愉快にさせる演出がうまい。スパゲティの食べ方も会話もかなりサイテーだ。

でも気に入らないからって、こいつが犠牲になれば。じゃ結局他の登場人物の考えと変わらないんだろう。あの父親でさえも、本来なら死んで詫びるのではなく、出頭して罪を償うのが一番我々の社会として正しいはずだ。倫理が正義に殺されて倫理が拒むから、きっとモヤモヤしてこの映画はキショいんだろう。

 

 

食糧庫を整理した

パスタないな。と思って買い足したらあった。

パスタないや。と思って封を開けてしまったものが3つぐらいある。

それが昨日食糧庫を整理してわかったことだ。

お腹減った、食べ物ないな。とずっと思っていたけれど、実はレンチンごはんと大量のレトルトカレーも存在していたし、ないなと思ったカレー粉も普通にあった。

風邪用のお粥とゼリーは賞味期限が切れていた。知らなかった。今日ストックを買って帰りたいけど、たぶん忘れるだろう。

これらが判明したのは、食糧庫に棚が増えたからだ。

ありがとうニトリのシンク下に設置できる伸び縮みできる棚。収納が2倍になるというのは素晴らしいことだ。

まだこれでも収納がなぜか足りない。という私の片付けセンスの悪さを除けば、悪いことがない。